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JAXA宇宙医学生物学研究ワークショップ
出典:株式会社メディカルトリビューンの記事より抜粋
国際宇宙ステーション(ISS) に長期滞在する宇宙飛行士の自律神経,循環機能は,宇宙という特殊環境の影響を受けて,地上では起こりえないさま ざまな変化を起こす。将来的には火星などの地球からより遠い場所での長期滞在も視野に入れて進められている宇宙開発に携わる宇宙飛行士にとっては,そう いった変化に対応する必要がある。東京で開かれた平成26年度第1回宇宙医学生物学研究ワークショップ「宇宙滞在による自律神経・循環機能の変化と対策 -ISSでの研究成果と,今後の挑戦-」(2月20日開催)では,宇宙や地上における自律神経,循環機能の研究に取り組む専門家が,それぞれ異なる切り口 から,それらの問題点や改善点,データの活用法について論じた。
生体リズムに密接に関わる3つの時計
生物が備えている生体リズムは,体の各部にある時計機能によって管理されているが,その生物の置かれた環境や精神状態,空腹具合などによって多様 な影響を受ける。東京女子医科大学東医療センター客員教授の大塚邦明氏は,心拍変動の解析結果と長期宇宙滞在における生体リズムの関係について説明した。
同氏によると,生体リズムは3つの時計から形成されると考えられる。
1つ目の時計は,脳の視交叉上核に存在しているという体内時計で,体の各部に配された時計細胞をまとめ,自律神経活動を統御している。
また,細分化された脳全体の働きを1つにまとめる心の担い手になる,大脳皮質の一領域である島皮質には心の時計が存在する。この時計は,一瞬ごと に表出する自己の意識になんらかの緊張や情動が付加された場合,その一瞬の時間を拡張させる働きを持っている。換言すれば,少年期と老年期では同じ1年で も長さが異なると感じる,「心の時間」に関与する機能と考えられる。
さらに,空腹感を知覚する役割を持つ腹時計も生物が生きていく上で重要な意義を有している。
宇宙空間の生活では,新たな生体リズム調節系の獲得が必要
大塚氏は,このように生体リズムについて概説した上で,宇宙空間にて長期間活動する宇宙飛行士の生体リズムに関して,自身も携わった検討の結果について説明した。
検討では,6カ月間宇宙に滞在した宇宙飛行士について,生体リズムの1つである概日リズムの推移を解析した。その結果,宇宙でも規則的な生活スケジュールを維持していれば,休息や睡眠の質はフライト開始直後から徐々に改善し,適切に順応できることが示唆された。
しかし,宇宙空間に6カ月間滞在しても,内因性の循環調節系に影響を及ぼす心拍変動βは回復しなかった。
最後に,同氏は「微小重力環境下である宇宙空間では,現在人類が持っている体内時計によって内因性の循環調節系を統御するのは困難であると思われ る。そのため,人類は従来とは異なる,新規の生体リズム調節系を手に入れなければならないだろう。新たな順応力,適応力に期待が寄せられる」とまとめた。
適度な前庭系刺激が血圧維持に寄与する可能性
微小重力環境が影響を及ぼすと考えられる身体の変化には血圧の変化も含まれ,その調節をいかにして図るかという点も宇宙滞在における課題の1つに挙げられる。
岐阜大学大学院生理学分野教授の森田啓之氏は,血圧の維持に重要な役割を果たす前庭系に焦点を当て,その機能や微小重力環境における変化などについて報告した。
前庭は内耳に存在し,重力や直線加速度などを感知する感覚器官で,起立時などに起こる動脈血圧の低下に対し,重力の方向の変化を感知して,前庭神経から脳に刺激を与えることで,動脈血圧の上昇を促す働きがある。
同氏は,ラットを用いたさまざまな実験で前庭系の機能を検証した。検証では,微小重力環境をつくり出す自由落下試験において,前庭を破壊しない正 常ラットでは血圧が上昇したものの,前庭破壊ラットでは明確な血圧の上昇は見られなかった。また,遠心機を使用した3G環境下で2週 間過ごしたラットや, 直線加速刺激による過重力環境下にあるラットでも,前庭破壊ラット同様,明確な血圧の上昇は見られなかったという。これらの結果から,前庭系を介する血圧 応答機能の低下は,過重力などの強い刺激を受けているため,もしくは過重力による活動性の低下によって引き起こされていると考えられた。
また,重力負荷を必要としない非侵襲的な手法として,前庭系に電気刺激を与えるGalvanic Vestibular Stimulation(GVS)という装置をラットに使用した試験によって,前庭破壊と同様の効果をもたらせることを確認。宇宙飛行士を対象に血圧応答 を分析する試験に用いた。
この試験では,宇宙滞在2カ月前,直後,2週間後,2カ月後の4回にわたり,安静臥位の後,上体を起こした際の動脈血圧などを測定するヘッドアッ プ・ティルト(HUT)を行った。その結果,動脈血圧は宇宙滞在2カ月前と2カ月後ではHUT後に上昇する一方,宇宙滞在直後と2週間後では低下してい た。
さらに,GVSによる刺激がある場合では,ない場合に比べて宇宙滞在2カ月前と2カ月後におけるHUT時の動脈血圧の上昇が抑制されていた。
以上のことから,GVSによる刺激は,微小重力環境における人間の前庭系血圧応答変化に関与できると考えられた。
そこで,GVSによる微弱な刺激を定期的に与えることで,宇宙滞在時における血圧調節機能の乱れを抑制できると推察し,ラットを対象にした実験を 行った。ラットを3Gの過重力下で2週間飼育する間中,10μAという微弱な電気刺激を1秒間与えた後に5秒間のインターバルを経てまた1秒間与える,と いうメニューを1分間1セットとし,10分間に1セットずつ実行した。すると,GVSによる刺激を与えずに同じ環境下にあったラットに比べ,前庭系を介す る血圧調節機能や運動機能の低下が抑制できていた。
これらの知見に加え,同氏は高齢者でも起立時の前庭系血圧調節機能が低下している傾向が見られる点にも言及し,「GVSには,微小重力環境にある宇宙飛行士や起立時の高齢者が引き起こしうる前庭系血圧調節機能の低下を補完する効果が期待できると思われる」と結論した。
心拍変動ビッグデータを健康リスク管理に活用
近年,世界各国の医療機関などでホルター心電図による心拍変動に関するデータが計測されている。名古屋市立大学大学院医療教育学分野教授の早野順一郎氏は,ホルター心電図で計測されるデータの有用性に着目し,人類全体の健康リスク管理に活用すべく研究を続けている。
同氏が実施している研究はALLSTAR(Allostatic State Mapping by Ambulatory ECG Repository)プロジェクトと呼ばれ,全国で日々記録されているホルター心電図の情報をデータベース化し,健康寿命の延伸に役立つような生体信号 モニター情報の活用法を提示することを目的の1つにしている。
今回,2007~12年にホルター心電図によって得られた約23万例のデータを基にした,さまざまな健康リスク指標について検討した。検討では, 心拍数(HR),DC(Deceletarion capacity),λ(Non-Gaussianity)の3つの指標を主に取り上げた。DC,λはともに心拍変動の指標で,DCは心拍数が低下してい く速度,λは頻脈の発生頻度と関連していて,DCは低値,λは高値になると生存率が低下する傾向があり,健康リスクが高まるという。
対象年齢と各指標との関連性を見ると,HRは20歳代ごろまでは徐々に下がり続け,70~80歳代で安定し,DCは20歳代前後で上昇し,以降は 徐々に下がり続け,λは加齢とともに徐々に上昇する。また,各指標と気象条件との関係を分析すると,HRは気温10℃前後で高く,それ以上でもそれ以下で も下がり,DCは低温および高温で低値に,λは低温および高温で高値になることが確認された。
さらに,DCについては東日本大震災の被災地の住民を対象にした調査を実施し,震災が発生した2011年3月11日から17日までに,DCが 2.5ms未満と低くなった症例の割合が,2008~10年および2012年の同時期における割合より有意に高かったという。一方,被災しなかった地域で 同様の時期に調査を行ったところ,DCが2.5ms未満となった症例の割合は,各時期で有意差が認められなかった。
以上のように検討結果の概要を紹介した同氏は「ホルター心電図を用いて得られる心拍変動のビッグデータは,人類生態学を研究する際の有用な資源と なり,自然環境,自然災害,社会事象による健康リスクの地理的,時間的変化の把握に役立つ可能性がある」と述べ,「将来的には,その日その日の気象条件な どに基づく健康予報を提供できるようになるかもしれない」との展望も示した。


